クリストファー・ウォードが新作のC60 トライデント ビスケイを発表したとき、話題はいつもどおりの方向へ流れていった。チューダー、ブラック ベイ、そして飽和したヴィンテージ調ダイバーズ市場である。 だが、クリーム色の文字盤を持つビスケイ オートマチックを、前世代のブライトリング スーパーオーシャン オートマチック 42——2019年に登場し、2022年に置き換えられたA17366——の隣に並べてみると、もっと面白い比較が浮かび上がる。


似ているのは、どこか一つの部品を写し取ったからではない。ケースは違う。ベゼルも違う。針も違う。クリストファー・ウォードは12時・3時・6時・9時の4か所に大ぶりのアラビア数字を置き、ブライトリングはそのうち3か所を数字に、残る1か所を日付に充てている。 見覚えがあるのは、文字盤全体の佇まいだ。大きな四方位の数字、交互に配された夜光のバー、幅広の針、すっきりとしたミニッツトラック、そしてほとんど同じと言っていいベゼルの語法——12時のトライアングルとドット、大きな15・30・45の数字、その間を埋めるシンプルなバー。どちらも大胆でありながら、うるさくならない。どちらも計器のようでいて、無個性ではない。 ぱっと見のビスケイは、誰かがA17366から日付を取り去り、厚みを2ミリほど削ぎ落とし、その結果をクリストファー・ウォードの現代的なインダストリアルデザイン・スタジオに通したら生まれていたであろうもの、に見える。 だからといって、これをブライトリングのオマージュだと呼ぶのとは話が別だ。 クリストファー・ウォードはビスケイについて、1960年代のスキンダイバーから着想を得たと説明し、ブロック体の数字書体はヴィンテージのロンジンにインスパイアされたものだとしている。A17366はまったく別の代物だった。ケース径42mm、厚さ13.32mm、500m防水のプロフェッショナルダイバーで、ブライトリング キャリバー17を積み、明確に現代的なコンセプトのもとに作られていた。新しいビスケイは厚さおよそ11mm、200m防水のスキンダイバーで、39mmと42mmが用意される。横から見ても、スペックシートを見ても、この二つを取り違える人はいない。 問題は、クリストファー・ウォードがブライトリングを模倣したかどうかではない。ブライトリングが自ら明け渡した視覚的な領域へ、クリストファー・ウォードが堂々と踏み込んだ、ということだ。
ブライトリングはすでに自前の911を持っていた
A17366は完璧ではなかった。500m防水は相応の厚みを伴い、ブライトリング17のパワーリザーブは約38時間にとどまり、日付窓は、文字盤が本当は数字を取り戻したがっていた四方位の一つを占めていた。改良の余地はいくらでもあった。
だが、残すべきものも同じくらいあった。
しかもA17366は、3年で終わるデザインの実験ではなかった。1995年のコルト スーパーオーシャン A17040とA17340に始まり、進化を続けてきた現代的スーパーオーシャンの系譜の、最も洗練された後期の表現だった。その後の27年でケースも針も防水性能も変わったが、この一族は繰り返し同じ語法へ立ち返っている。存在感のあるアラビア数字、夜光のバー、3時の日付、力強いベゼル、そして意図的に頑丈すぎるケース。A17366はそのアイデンティティを発明したのではない。蒸留したのだ。
大きな12・9・6の文字盤、深く刻まれたベゼル、筋肉質なケース、そしてわずかに芝居がかったオーバーエンジニアリングぶり。それらが、ひと目でブライトリングとわかる時計にしていた。コルトやアベンジャーと広いデザイン語彙を共有しながら、そのどちらとも入れ替え可能にはならなかった。部屋の反対側から眺めても、ロゴを付け替えたサブマリーナーには見えなかった。
そこにこそ、好機があった。
ブライトリングは、この世代のスーパーオーシャンを、ロレックスがサブマリーナーを、ポルシェが911を扱うのと同じように扱うこともできた。完成したデザインとして琥珀に閉じ込めるのではなく、磨き続けるべき息の長い造形として。薄くする。ブレスレットとクラスプを良くする。ベゼルを現代化する。より良いムーブメントを与える。タイポグラフィを引き締める。そして、顔つきは残す。
アイコンは、変えないことによって生まれるのではない。911はこの60年で、ほとんどあらゆる部分が変わってきた。ポルシェが守っているのは語法だ。ルーフライン、スタンス、リアエンジンのプロポーション、そして新型のどれもが同じ一つの連続した対象に属しているという感覚。ロレックスもサブマリーナーに同じ規律を課している。個々の世代の是非は議論できても、それが何であるかを問う必要は決してない。
ブライトリングには、その種の連続性を築くための素材があった。A17366はすでに、その清潔で現代的な表現になっていた。それなのに、およそ3年後、ブライトリングはまったく別のスーパーオーシャンへと置き換えてしまった。
次の一手は、誰の目にも見えるところに転がっていた。2021年のレビューで、Beyond the Dialは愛好家として当然の要望を書いている。日付をやめて、そこに大きな「3」を置いてくれ、と。
その5年後、クリストファー・ウォードは事実上その文字盤を作り上げた。
現行スーパーオーシャンは良い時計だ——ただし、ゼロからやり直している
現行のスーパーオーシャンは好きだ。色彩豊かで視認性が高く、現代のダイバーズウォッチの多くよりずっと個性的である。角ばった先端の分針と、コントラストの強いダイヤルリングは、確かなアイデンティティを与えている。 だが、そのアイデンティティはよそから来ている。 2022年に登場したこの時計は、1960年代のブライトリング「スローモーション」スーパーオーシャン Ref. 2005のデザインコードを踏襲している。オリジナルは、本当に類のないダイビング クロノグラフだった。通常のクロノグラフ秒針の代わりに、中央のクロノグラフ針が1時間で1周し、ダイバーが経過分をそのまま読み取れるようになっていた。その針は動きが遅すぎて、クロノグラフが作動しているかどうかが分からない。そこでブライトリングは、6時の上に作動インジケーターを加えた。 あれは装飾ではなかった。奇妙な文字盤が存在したのは、時計が奇妙なことをしていたからだ。 現代のスーパーオーシャンは、スローモーションの視覚的な記号を借りているが、中身は普通の三針時計である。クロノグラフもなければ、機能する作動インジケーターもない。だからといって不誠実だということにはならない。アーカイブのデザインが再解釈されるのは日常茶飯事だし、出来上がったものは魅力的だ。しかしブライトリングが復活させたのは顔であって、アイデアではない。機構を伴わない、歴史的機構の見た目だ。そしてそれは、その直前まで売っていたスーパーオーシャンの進化形ではない。 ブライトリングは、すでに自ら手にしていた一貫した現代的デザイン言語を飛び越えて過去へ手を伸ばし、アーカイブのクロノグラフを軸にラインを再起動した——クロノグラフ抜きで。
クリストファー・ウォードは商機を理解している
スペックだけを見れば、ビスケイはA17366のプロフェッショナルな性能を再現しようとはしていない。もっと商売上手なことをしている。 三針モデルは39mmと42mmのケースで、厚さはそれぞれ11.0mmと11.4mm。200m防水、ボックス型サファイアクリスタル、硬質処理を施したアルミニウム製ベゼル、そしてパワーリザーブ56時間のCOSC認定セリタ SW300-1を備える。日付機構を隠したまま空振りのリューズポジションを残すのではなく、正真正銘のノーデイト・ムーブメントだ。オートマチック、GMT、ブロンズが同時に登場し、単発のデザイン実験ではなく、小さなファミリーが立ち上がっている。 ビスケイ オートマチックの価格は、ストラップ仕様で1,330ポンド/1,870米ドルから、3連ブレスレット仕様で2,095米ドル。現行のステンレススチール製ブライトリング スーパーオーシャン オートマチック 42は、ラバーで5,700米ドル、ブレスレットで5,900米ドルとされ、300m防水と、パワーリザーブ約38時間のCOSC認定ブライトリング17を備える。
だからといって、両者が同等になるわけではない。ブライトリングにはグローバルな販売・サービス網があり、ブランドとしての蓄積ははるかに大きく、プレス写真では判断できないディテールがある。私はビスケイを実際に手に取ってはいないので、これはデザインについての議論であって、その手触りの質がブライトリングに並ぶという宣言ではない。
しかしクリストファー・ウォードは、ブライトリングが残していった好機を切り取るために、あらゆる面でブライトリングと並ぶ必要はない。説得力があり、見てそれと分かり、スペックの整ったダイバーズウォッチを、およそ3分の1の価格で差し出せばいいだけだ。前世代スーパーオーシャンの視覚的な自信を愛しながら、もっと薄く、もっとすっきりと、そして6,000米ドル近い入場料なしで手に入れたかった人たちにとって、ビスケイは今、そこにぽっかりと空いた魅力的な土地を占めている。
小さな会社が大きなブランドの取り分を食べ始めるのは、こういうときだ。すでにブライトリングと決めた買い手を寝返らせる必要はない。彼らがブライトリングの買い手になってしまう前に、その一部をつかまえればいい。
しかも、クリストファー・ウォードはこれを改良し続けられる。そこが肝心なところだ。
アイデンティティは、持ち続けてこそ価値がある
私はブライトリングに、A17366をそのまま作り直せと言っているのではない。忠実な復刻では教訓を取り違えてしまう。あの時計は出発点であるべきで、終着点ではなかった。
逃したのは、あの文字盤の構成、ベゼルの造り、開き直ったような過剰な作り込みこそが現代のスーパーオーシャンなのだと決め、その対象を世代を重ねて磨いていく機会だった。ブライトリングは、スーパーオーシャン ヘリテージという別のファミリーを維持する術をすでに知っている。アーカイブの復刻はそちらに置いておくこともできたし、スローモーションを本来の姿であるクロノグラフとして戻すこともできた——基幹ラインをリセットせずに。やる必要がまったくなかったのは、一つのアイデンティティを犠牲にして、別のアイデンティティを借りてくることだ。
クリストファー・ウォードは、これ以上ないほど混み合ったダイバーズウォッチ市場を見渡したうえで、清潔で、読みやすく、そしてすぐに見覚えのある顔にたどり着いた。公式のインスピレーションは1960年代にあるのかもしれないが、完成した時計は同時に、ブライトリングがわずか4年前に生産を終えたスーパーオーシャンに、どれだけの生命が残っていたかを映し出してもいる。
ブライトリングは、あのデザインをクリストファー・ウォードに奪われたのではない。手をつけないまま放置したのだ。
時計の世界では、見捨てられたアイデンティティは、依然として空いたままの土地である。